「アイツは特別だから…」
Q. 常々、英会話ができたらいいなぁとは思っています。やっぱり将来不安ですからね。英会話くらいできるようになっていたいと思っています。でも、身近にいる「英会話ができるヤツ」を思い浮かべてみると、やっぱり普通とは違うよなぁーとも感じてしまいます。彼らは自分がやっていないような何か特別なことをしていると思うんですが、それは一体何なんでしょうか?(20代男性)
A. 「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)という曲をご存知でしょうか?その歌詞は次のように始まります。
もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう
「ピアノが弾けたらいいのに…」という気持ちを表現していますが、こういう心境の人は実際にピアノを弾いたりしていないことも伝わってきますね。
ぽつぽつでもピアノの練習をしている人は、そんな風には言わないからです。ピアノを弾いている人にとってピアノを弾くことは身近にあるものという意味で「こちら側」のものであり、「もしもピアノが弾けたなら」と思っている人にとっては身近にないものという意味で「向こう側」のものなのです。
英会話もこれと同じです。「英会話ができたらいいなぁ」と思っている人は、英会話ができる人を特別視する傾向があります。そして、英会話ができる人とできない人(自分)の間に線引きをして、自分をできない側に置いてしまうのです。
線引きは言い訳に変化する
Q. 実際に自分は英会話ができないのですから、そうやって線引きして何がいけないんですか?事実は事実だと思いますが…
A. 線引きが良くないのは「英会話できない自分」を固定化してしまうからです。例えば、何かうまくいかないことがあっても、「自分は英会話ができないから…」という理由で自分を納得させることができますよね。
実際にはピアノも英会話も、地道な積み重ねでしかありません。うまくいかないことがあっても、長い目で見て自分のものにしていくしかないのです。しかし、自分を「英会話できない」と決めつけてしまうと、そういう粘りがなくなってしまい、短期的な解決策に飛びつきやすくなってしまいます。
「聞き流すだけで話せるようになる」という宣伝文句をピアノに置き換えてみてください。「ピアノの音を聞いているだけでピアノが弾けるようになる」となりますよね。普通の状態であれば、この宣伝文句がどれだけオカシイものか判断できるはずですが、「特別な何かがあるに違いない!」と思い込んでしまうと、適切に判断できなくなってしまうのです。
英語のある生活を送ろう
アドバイスとしてはありきたりですが、一歩ずつ進めていくしかありません。最初のうちは1日5分でもいいから英語に親しんでみましょう。英会話が「こちら側」にあると感じられるまで続けてください。「僕はまだ英語ができない」ではなく、「わかる英語がすこしずつ増えている」と思えたら、英語のある生活がより楽しくなりますよ。